生意気言って、ごめんなさい🙇
今年初め、カルチャースクールのリコーダー・アンサンブル講座を見つけた🥰 先生はリコーダー奏者として活躍されているかたわら、アンサンブルや個人指導のほか日本中の小中学校を回ってリコーダーの楽しさを伝導されている🪈 ばんざ〜い🙌とばかり受講を始めたのだが、気温上昇と反比例するように気分は下がる一方。生徒さんも、一人入っては一人抜け…💧 この盛り下がりは一体…🤔...
View Article知りすぎた女
私は長い間、ポテチが食べられなかった🥔 30年以上前、ポテチ(ポテトチップス)の粗脂肪検査をしたことがあった。試験管の形をした濾紙にポテチを入れ、有機溶剤を流す。下に溜まったものを加熱して溶剤を飛ばすと、脂肪分が残る。...
View Article検査技師の見分け方🥼
私はもともと食べ物の好き嫌いはなかった。 かつて子供はニンジンとピーマンが苦手なのが定番だったが、どちらもすんなり食べられたし、クサヤなどクサ〜い食べ物も美味しいと感じる🥰...
View Article薬屋のひとりごと
最近、ガイド(説明)付きで薬草園を見学する機会が多い🌿 一緒に見学するのは、同年代のフツーのおばちゃんたち。皆さん、ハーブ好きではあるが薬についてはシロウトだ。 質問が次々出てくるのは、食べ物や香料になる植物のとき。そして目がキラキラ輝くのは、毒草の説明を受けているとき🤩...
View Article日本中がインキュベーター
今まで書いたブログから、あンたは食中毒なんて罹らないんでしょ…と言われそうだけど、食中毒の経験回数は日本人の平均カウント(というものがあれば)を上回りそうである。 まず、私が避けてしまう「食中毒事例になりそうな食品」というのは、検査に回ってきた食品である。...
View Article台風女⁉️
私は幼い頃から乗り物に弱く、小学生までは旅行と言えばコトコト電車で行ける、箱根湯本・江ノ島・伊豆までだった。中学校に入る頃、よく効く薬が発売されたおかげで遠出できるようになった💊 大学2年の夏休み、家族で北海道に行った。1週間弱のツアー。北海道内の移動は観光バスだった。当時、北海道の夏は今よりずっとずっと気候が良かった☀️...
View Article一生モノの幻想
私が大学生だった頃、世の中は女子大生ブームで、「バイトと合コンに明け暮れ、ブランドもので身を固めた女子大生」が肩パッドで風を切って歩いていた👚 いっぽう私のような大学に通っていた学生は、授業と実習に追われ、バイトする時間もなく質素な生活を営んでいた。ブランドものとも縁がなく、ワゴンセールで買った服ばかり。世の女子大生より金銭感覚は “かなり”しっかりしていた(つまりケチだった)と思う💴...
View Article「おれは直角」📐
小学校3年か4年のとき、近所にできたマンションの最上階に越してきた子と仲良くなった。活発で頭の回転が良く、かつてのアイドル南沙織にそっくり。何より印象に残っているのは、身体が超柔らかかったということだった🤸♂️...
View Article超能力理論⚡️
もとミュージカルダンサーで、昔ちょっとだけピラティスを習った師匠が、1年半ほど前からコロナの後遺症で身体を動かせなくなった🫨(そう、コロナって怖いんですよ😨) 手も自由に動かせず、音声入力を使って近況をSNSに報告してくれているが、先日SNSを調べると、1年以上前の投稿が最後になっていた。 そしてその直後、新しい投稿がアップされた。ちょうど私が心配になって調べていた時間に書かれていたようだった📱...
View Article大人の遊び場
初めてカルチャースクールに足を踏み入れたのは、小学校1年生の夏休み…だっただろうか、小田急百貨店の上層階にあった産経学園に、母について行ったときだった。 そこは、大都会の摩天楼に潜む大人のためのワンダーランドだった。...
View Article美味しい店のバロメーター
築地で働き始めたとき、「美味しい鰻屋があるよ」と、連れて行ってもらった。:〜〜〜 路地裏にあったその店は、正午前にすでに店の前に長蛇の列ができ、炎天下延々と待たされた。やっと入れたのは、10人座れるかどうかの小さな店。おまけにエアコンが故障中とのことで、汗をかきかき鰻の焼けるのを待った💦 その後も、土用の丑の日が巡ってくるとその店に行ったが、エアコンが機能していたことはなかった🥵...
View Article心機一転🪈
コロナが明けて以来、リコーダー・アンサンブルの場を探して彷徨い続けてきた。 かなり頑張ったけれど、「楽しいアンサンブル」は私には縁がないことをやっと理解し、筆を折る…ならぬ笛を折ることにした(実際には折ろうと思っても折れませんが)🤨 まさに、断腸の思い…です😥 都会には何でもあると思われがちだが、都会より郊外のほうが入手しやすいことの方が多いというのが私の実感だ。...
View Article断捨離恐怖症⁉️
「断捨離」と聞くと、父はイヤ〜な表情をした😩 モノが捨てられない人には耳が痛い言葉だよねぇ〜と思っていたが、そこが、さすが親子⁉️…すんなり受け入れられない私もいた。 断捨離が一世を風靡して15年。言葉は登録商標となり、いまだにテレビ放送されている📚📺...
View Article世界にまるで不要のものなし
今は昔のコロナ前、友人の、高級マンションについて行ったことがあった。 エントランスの郵便受けにたまっていたフライヤー(チラシ)を取り出し、キッと睨むと、親の仇でも取るようにゴミ箱に捻じ込んだ(最近の高級マンションでは、郵便受けの近くにゴミ箱が用意してある)😾 おそらく自分のテリトリーに不要なモノが侵入したのが許せなかったのだろう。これぞ、断捨離の真骨頂❣️...
View ArticleAIちゃんの朗読
ある方に音読を勧められて以来、誤嚥予防がてら、ずっと英語の音読をしていた。しかし発音などに自信がなかったので、1年半ほど前、英語朗読講座を見つけて受講した。 教師は英国仕込みの、もとNHK国際放送アナウンサー。オンライン講座で、英語教師の方やロンドン在住の方も参加されていた。音読とは違い、聞き手が物語に入っていけるよう、抑揚、間合い、声の高低に工夫し、テキストに書き込んで予習した。...
View Article理系少女と呼ばれて(その1)
高校1年の夏に進路を決めて以来、「理系」と呼ばれるようになった。これがとにかく私にとって不快であった。 「チビ」「ブス」のような言葉が絶滅危惧語となりつつある中でも、「理系(女子)」は健在である。私にとっては、「理系」と言われるより「チビ」と言われたほうが納得がいく。...
View Article理系少女と呼ばれて (その2)
前回の「理系少女と呼ばれて(その1)」に、「理系=ダサい」と書いた😛しかし最近では菊川怜さんや八田亜矢子さん、ごく最近では参議院選挙に当選された牛田茉友さんなど、オシャレ〜な「リケビ(理系美女)」が次々登場している💄 それって「時代」だよね…と、私は思う。...
View Article理系少女と呼ばれて(その3)
(その2)にキラキラ理系女子の話を書いたが、最近は男子科学者も魅力的揃い👨 私は、昆虫学者・五箇公一さんのファンである🩷キラキラというよりギラギラ系のインパクトのあるファッションにドキッとするが、お話しされることは頗る真面目で知的で共感できる🕶️ 機会があったら是非…と思ったりもするが、カレは「ダニ」がお気に入りであり、「ダニ」をサカナにおチャケを飲むのもねー😅...
View Articleマイ・シアター
国立劇場・国立演芸場がリニューアルのために閉館して以来、開館の目処が立っていないと言う。 あちこちの劇場を代替として借りて活動しているからファンは困らないはず…と思われるかもしれないが、やはり本拠地で行われるのとは違うと思う🎭...
View Article理系少女と呼ばれて(その4)
高校までは化学や数学が得意で「理系」と呼ばれていた少女たちも、大学に入ってから、自分は本当は文系だったのかも…と自分を疑うことが多かった😰 ホンによく単位が取れたなぁ〜と、私も思う😛大学の化学や物理って、マジで「#?&$@!¥?」だったんだもの。。。 何かで聞いたか読んだかしたのだが、高校で学ぶ程度の数学や化学は、言語脳つまり文系脳によって習得されるそうだ🧠...
View Articleナデガタ一族の悲哀
父や私が貧乏臭く見える原因の一つは、二人とも重度のナデガタ(撫で肩)だからだ。 祖父母のどちらかがナデガタだったのだと思うが、祖父は私がナデガタを意識する前に他界してしまったし、祖母は夏のアッパッパ以外は和服で通していたので、原因遺伝子の出所は不明である💀 母の骨格は父とよく似ていたが、母にはちゃんと肩があった🙄...
View Article理系少女と呼ばれて(その5)
(その1)に書いた通り、かつて理系と言うとマイナスのイメージが付き纏い、私も日陰の人生を歩んできた💧 大学時代、華やかな文系の女子大生とは対照的に、私たちに合コンのお誘いは滅多になく、やっと来たと思って行ってみると、(自分たちのことは棚に上げて)ダサ〜い理工学系の男子大学生ばかりだったり🤓 ファッション雑誌に写真が載る女子大生を横目に、でも私たちにはああはできない…と地味に地道を歩んできた。...
View Article人生はターンテーブルに載って🍜
私が高校〜大学生の頃、いわゆる”聖子ちゃんカット”が大流行し、若い女子が皆同じに見える…と、世のオジサマ方を悩ませていたらしい👩 その後も、トサカの前髪やワンレン、ソバージュなど、女子がこぞって同じ髪型をしていた時代があった。 髪型だけではない。今まで流行したものを数え上げていたら眠れなくなるくらい、私の人生を実に様々な流行が通過して行った😳...
View Articleすりおろしリンゴは愛の味🥰
私はず〜っと、リンゴが好きではなかった。父の、リンゴ愛が強すぎたゆえである🍎 健康に良いと何かに書いてあったのか、単なる嗜好なのか、父は年間を通してリンゴを欠かしたことがなかった。我が家の冷蔵庫には常に四角いタッパーが入っていて、中には皮を剥いたリンゴが入っていた。父はそれを食後に、旬の果物を食した後でも必ず食べていた🍉 蛇足ながら、皮を剥いていたのは母と私である💦...
View Article私の老年学
昔々、私の職場に、シルバー人材センターから派遣された方が働きにきていた。80歳を超えていたと思う。 ある日、彼が健康診断の結果を持って「尿酸値が前より高くなっているんだけど、医者は、この年なら仕方ないって言うんだよ」と不満げに言った。...
View Article築地からTsukijiへ
今は昔。コロナ禍の中を私は精力的に歩いた。 最初は、ぎゅうぎゅうになったスーパーを避けるためだった。第一波が収まり、どのようにしたらうつらないかが、理屈ではなく体で分かるようになってくると、行動範囲はぐっと広まった。築地、浅草、鎌倉…過去ログを見ると懐かしい⛩️ 規制は緩くなったが外国人の少なかった頃には京都や高尾山、富士山(5号目)にも行った。銀ブラも存分に楽しんだ...
View Article父と私の死生学(前編)
母が他界したとき、72歳だった父は「生と死を考える」セミナーに通ったり、本を読みあさったりして「死とは何か」、「自分はどう死ぬか」を模索し始めた😇 「死に方」など、いくら考えても、本を読んでも、そのようにいきっこない…のに。「死とは何か」なんて、生きている限りは絶対に分からない…のに😥...
View Article父と私の死生学(後編)
「ラストソング」📙以来、ずっともやもやしていたことがあった😶🌫️ 父の晩年、病の影響もあったのか歩行能力は著しく衰え、何度も転倒した。玄関〜門のたった数段の階段も自力で昇降できず、そのために介護タクシーを頼まなければならなかった。 それでも、また以前のように…とまではいかずとも、「私に迷惑をかけないように」歩きたいと、毎日ベランダや家の中を歩いた🚶♀️...
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